雑記:劣等感について(高校教科書から、引用したぐらい)

私の知人で、しっかりされている方と会話すると、次の方が話題よくあがる。 「自己中心的な変な他人の行動に対して、何かにつけ「エゴだ」「劣等感だ」といい、 雑な心理分析に帰着し、思考停止する」。
そんな背景をもとに「エドとか劣等てそんな大事なん?私は気にしないし、レッテル貼っても本人には効果ないが・・」と思いながら、高校倫理(令文社)p.20からの引用する作業をしてみた・・。

参考文献:(南 博「心理学がわかる辞典」日本実業出版社 と、白石浩一氏:「高校生心理学」より以下は、引用)

劣等感と劣等コンプレックス

アドラーは劣等感と劣等コンプレックスを区別し、劣等感は誰でも持つものだが、劣等コンプレックスは劣等感が肥大化したもので、 社会生活を歪んだものにするとしました。 そして劣等コンプレックスは次の三つを原因とし生まれると考えました。

1.心身の器官に劣等性がある。
2.甘やかされて育った。
3.嫌われたり、憎まれたりして育った。

 劣等感は成長のバネ(発条)

アドラーはすべての人間的進歩は、人間が自分の劣等生に打ち勝とうとして努力するという事実に由来する、 と述べていますが、劣等感の劣等感たる所以は「補償」あるいは「優越欲求」という面にあります。 例えば、(中略)劣等感を克服しようとした結果、偉大な業績を残したという例は枚挙にいとまがありません しかし劣等感が劣等コンプレックスとして、歪んだ形で補償されると、神経症的性格といって、 神経症になりやすい傾向に発展していきます。権威主義的で、嫉妬深く、競争意識が強く、その結果、人に共感できず、思いやりのない、自己中心的な性格になります。 この場合、劣等コンプレックスが優越欲求を課題に強くし、人に優越する事ばかりに力がそそがれてしまうわけです。

(中略)

≪解説≫著者(白石浩一氏)によれば、これら劣等感の克服法として、

第一に大げさな思い過ごしをしないこと。この時期はささいなことを切実な問題にみなしがちである。 そうしたとりこし苦労から脱する事である。

第二に、自分が気にするほど、周囲の者は気づいてないない事を悟る事。もっと冷静に、客観的に自分を眺める事である。

第三に、自分の本質に属さない事柄について劣等感をいだくのは、ナンセンスで、バカバカしいことと悟る事。例えば、皮膚や髪の毛が何色であろうと、その人の人間としての値打ちと関係ない事で思いわずらうのは、愚かな事である。

第4に克服しようという積極的な意欲をふるいおこすこと。

第5に、どんなささやかなことでもいいから、一つだけ、「自分のもの」といえる領域を作ること。それが転回点になって全般にゆとりと自信が湧いてくる。

以上はママ引用である。 とはいえ、問「以上の高校生も考える内容が読解できるか?」「自分に省みれるか?」「読む途中でキレるか?逃げるか?」は、 高校生以上かの客観的基準の一つになりえるかとは、私には思えます・・