雑記:高校の思い出話(23/8/11筆)

高校の(東京版)同窓会に行ったのですが、以下のような昔の話を思い出させられました。

某氏と話してたら高2の夏休み宿題である読書感想文を話題にされて、「そういえば野坂は高木貞二の解析概論を読んで感想文で提出してたでしょ?」の様な事を笑い話で言われた。確かに私の高校時代の破天荒ぶりを思い出す限り(笑)しかしそんなん提出されたら国語の先生も困っちゃうよねえ・・。そのうえ今から見ると、解析概論で微積を勉強しようとするのはヤバいよなぁ(冷静に見れば数論の先生が書いた本だしねぇ・・)、他のいい本もたくさんあるので・・・(;^_^A

補足すると、氏には言ってなかったが、実際は「収穫と撒いた種と----数学と自己の発見への旅」1巻(Grothendieck著)を感想文にして提出した。どちらにせよ破天荒・・・ひどかったもんだ。(今おもうと高2でそんな本よむもんじゃない、と思う。もっと為になる読書すればよかった。 なお高校時で2巻を読もうとしたが、スキーム論が仮定されて挫折。 Weil予想やスタンダード予想の事を何となく知らないと意味不明だよなぁー)。 ついでながら、クラフォード賞辞退(1988年)の理由文が1巻巻末にあるが、あれは魂を感じ普遍的な感銘を今でも私は受ける

もっと補足すると、解析概論を読んだ理由は次のよう。当時、平野啓一郎氏の小説「日蝕」が当時最年少で芥川賞をとり(賛否両論とともに)話題になった。それも、うちの高校の我々のひとつ上の世代で、全校一斉テストで国語の小説問題に日蝕が使われた(驚き!!!正気?)。そうこうあり私も読みたくなって、数学の授業中に内職で私は日蝕を読んでたのだが、高校数学のN先生に「擬古的な文体がカッコいいです」と私が言うと「高木貞二の解析概論も旧字体版があって、あれは味わい深い」と言われた。早速、高校の図書館に行って借りた。やはり旧字体でなかなか読めない。当時はネットがないので、旧漢字辞典をひきながら読んだりした。でも数学的な事が頭に入らず理解できず、読むのをやめた。こんな思い出を私は解析概論をもとに感想文に書きたかったが、しかし冷静になり、やめた。

今となっては・・:  このお話では数学的に得るものは少なかったが、 一方で、旧字体が読めるようになった事は良かった。 とくに(台湾で使われる)繁体字もある程度は読める(北京語などを一定勉強する必要があるが) ようになり、今となっては役立ったと言えるだろう。



追記の思い出話(23/10/4筆):

Grothendieckといえば、学部1年時に「何のための数学か」(ジョラン編)を読んで私には(彼の抽象論とは裏腹に)『彼は結構具体的で現実的で建設的な発言をする人だ』という印象だった。当書は、サミュエルやシュヴァレー等とともにした``生き残り運動"を断片的に日本語で知れる貴重な文献。五月革命(とその後)やNATO(と諸勢力の立場)や科学者の軍事加担責任などの問題が前提にある上、当時このまれた論点や言い回しが多いため、本書の解読は難しい(故に私も生半可)。本書の論点は化石化し沈殿した議論と今や思われそうだが、当該の諸運動を冷静に俯瞰すれば、後々の反原水爆運動の(数)学者を輩出したり、(社会・共産・労働党などと一線をおく)緑の党やマイノリティー諸派へとつながる潮流に一役を買ったと思う。日本でもGrothendieckファンも多いうえ、数教協とその周辺とかに影響を陰に陽にあったと思われる(間違えなら訂正します)。Grothendieckらの努力も無駄でなかった、と今さら私は敬意を表します